第二次世界大戦時におけるアメリカ陸軍航空隊を代表する戦闘機といえば、何はともあれノースアメリカンP-51マスタングを外すわけにはいかないという主張に異論を唱える人は少ないと思う。マスタングこそは大戦中期以降における連合国側の空の守りの要に他ならず。その活躍はあらゆる戦線において見ることができたのだから。しかしそんなマスタングも本来はアメリカ陸軍航空隊向けでは無く、戦闘機不足に悩んでいたイギリスがアメリカに助けを求めた結果、ひょんなことから誕生することとなった輸出専用戦闘機だったという事実が顧みられることは少ない。歴史は時として不思議な縁を取り持つ。あの日、イギリスが戦闘機不足に困っていなければ、ことによるとマスタングはこの世に生を受けなかったのかもしれないのである。
突然の提案
1939年12月、ナチスドイツの傍若無人な振る舞いの数々に自国の安全保障の危機を強く感じていたイギリスは、戦闘機勢力を補強するためにアメリカに援助を求めた。しかし当のアメリカにとっても戦闘機生産計画に余裕が無かったことから補強計画は順調には進まず。最終的にはアメリカ政府の仲介で、新進気鋭の航空機メーカーだったノースアメリカンでイギリス向けのカーチスP-40をライセンス生産するという計画に落ち着きかけた。カーチスP-40は丈夫で信頼性の高い機体であり、イギリス政府とノースアメリカンの双方にとって悪い話では無かったのだが、何とここでノースアメリカンを率いていたジェームズ・キンデルバーガーは「カーチスP-40のライセンス生産準備に必要な時間と同じ開発期間でより高性能なオリジナル設計の戦闘機を納品したいのだが…」という青天の霹靂というべきオファーをイギリス側に対して行ったのである。
チャレンジ精神の結晶
この提案に対して当初は困惑の表情を見せていたイギリスではあったものの、最終的にはキンデルバーガーの熱意にほだされその提案を受け入れることとなる。しかしイギリスには時間が無かった。試作機の完成までの期間としてイギリスが出した日数はわずかに120日。契約が締結された1940年5月29日から四ヶ月以内に試作機を、それも当時のアメリカ陸軍航空隊の主力戦闘機よりも高性能な機体を完成させることという、常識では有り得ない契約内容だったのである。
1940年9月9日、契約締結から102日目にその新型戦闘機の試作機である「NA-73X」は無事ロールアウトを終えた。アリソンV-1710エンジンを装備したその機体のアウトラインはラジエターが胴体下部にセットされていたことを除くと、カーチスP-40に似ていないことも無かった。しかしそのディテールはというと後発メーカーならではのチャレンジ精神の現れというべき新機軸の集合体であり、あらゆる面において既存の性能を凌駕することを目指すというそのコンセプトにウソ偽りは無かった。
群をぬく完成度の高さ
高速力の発揮に大きな効果が期待できた層流翼の採用、境界層制御を念頭に置いたラジエターインテークの設計、要所に厚板を採用すると同時に内部構造を簡略化することで剛性の確保と製造工程の簡略化を実現した機体構造。層流翼の効果を十分に発揮させることを前提とした厚翼構造の結果、十分な容量を持つ翼内燃料タンクの搭載が可能となったことによる長大な航続距離。これらはいずれもNA-73Xならではのスペックであり、戦闘機の評価に関しては目が肥えていたイギリス側関係者を納得させるに十分なインパクトを備えていたことは間違いない。
1940年10月26日、NA-73Xは無事初飛行を終えた。この時点で320機を発注済みだったイギリス政府は、初飛行の成功を受けてさらに300機を追加発注する。そして二週間後の11月9日、この戦闘機を「マスタングI」と命名することが決定した。この後、約五ヶ月を掛けて量産化に向けて熟成が図られたマスタングIの量産機は翌年5月以降、順次イギリス側に引き渡され、武装その他の艤装に入った。これらが実戦部隊に配備されたのは1942年1月からのことである。