
露呈した弱点
イギリス空軍の主力戦闘機でありバトル・オブ・ブリテンを乗り切った守護神というべきスピットファイアの前に、二線級の輸入戦闘機と見られていたマスタングIではあったものの、中低高度以下での良好な運動性や抜群のスピード、そして最大でスピットファイアの二倍以上という1000マイル(約1600km)以上に及ぶ航続距離は実戦部隊のパイロットを驚かせるには十分だった。唯一の弱点は頑丈な機体構造ゆえの見かけ以上に重い機体重量が原因の上昇力不足、そして2万6000フィート(約7900m)以下で息切れしてしまうという貧弱な高々度性能だった。後者については、本来はターボチャージャーの装着を前提に設計が進行していながら、諸般の事情で中高度以下での性能しか保証できなかった1段1速スーパーチャージャーしか得ることができなかったアリソンV-1710-39では半ば仕方の無かったことではあるのだが、この弱点はイギリス側も量産機の受領直後から問題視していたこともあり、程なく2段2速スーパーチャージャーを標準装備していたロールスロイス・マーリン61のレトロフィット実験が開始されることとなる。
一方、実戦デビューしたマスタングIは本来の機動性の高さと航続距離の長さを武器に支援戦闘機兼戦術偵察機として相応の活躍を見せることとなった。程なく20mm機関砲4門を装備した武装強化型が登場する様になると、対地攻撃も可能な万能戦闘機としての評価は高まる一方だったといって良い。
米軍でも採用
この好成績を受けてマスタングIに注目することとなったのは、他でもないアメリカ陸軍航空隊だった。実はアメリカ側はマスタングIの量産機の完成と同時に、その一部を参考機として受け取っていたのだが、それまではほとんど顧みられることもなく放置されていたという経緯があった。しかし長距離戦闘機の必要性に迫られた陸軍航空隊はイギリス側でのマスタングIの活躍を受けて、新たにXP-51の試作名と共に細部を手直しした上で運用試験を開始。1942年8月には遅ればせながらの制式採用決定と共に1200機が発注されることとなった。これがP-51Aマスタングである。
P-51Aとその派生型として急降下爆撃機装備が与えられたA-36Aアパッチは1943年の春から実戦の場に姿を見せ始めた。余談ながらこの年の11月にビルマ方面で日本陸軍航空隊と初交戦したのは第311戦闘爆撃航空群のP-51Aであり、対峙したのが歴戦の飛行64戦隊という不運も重なってか、初戦で9機中司令機を含む3機を失うという敗北を喫している。
エンジンの換装
さて前述したイギリス空軍による2段2速スーパーチャージャーを装備したマーリン61のレトロフィット計画だが、飛行実験では圧倒的な好成績を記録したものの、当のマーリン61の量産体制がスピットファイア向けの生産だけで手一杯だったこともあり、最終的には計画中止となった。しかしほぼ同時期にアメリカ陸軍航空隊でもイギリス側の動きを受けてマーリンの換装計画が進行しており、こちらは既にパッカードがライセンス生産を決定していたマーリンV-1650-3(マーリン61とほぼ同仕様)をの搭載を前提にモディファイに入った。これが後のP-51Bである。
P-51Bは1943年5月に量産初号機が完成、ただちに運用試験に回され、最初の実戦部隊である第8航空軍、第354戦闘飛行隊に配備されたのは同年11月のことだった。
ここからマスタングの大躍進が始まることとなった。最高速度は高度約3万フィート(約9150m)で約437mph(約708km/h)。実用上昇限度は4万フィート(約1万2200m)以上。上昇力は2万フィート(約6100m)まで6.9分。低高度での機動性や航続距離を一切損なうことなく、圧倒的に優秀な高々度性能を得ることに成功したのである。
これによってP-51AとA-36A、そしてマスタングI/同II(P-51Aのイギリス空軍向け)はほぼ存在意義を失い早くも退役が進むこととなった。さらにイギリス空軍向けにはP-51Bと同仕様の機体がマスタングIIIの名で供与されることも決まり、ドイツ本土爆撃隊護衛機の決定版的存在として高く評価されることとなった。
D型の登場
ノースアメリカンP-51マスタングは、その性能を大幅に高めた「B」、そして新たにイングルウッド・ファクトリーに加えてテキサス州ダラス・ファクトリーで量産が開始された「C(Bと同仕様)」に続いて、従来から指摘されていた後方視界の不良と脱出時の安全性をそれぞれ改善することを目的に大型のバブルキャノピーを装着したP-51Dへと進化する。Dの量産が開始されたのは1944年2月と言われており、これ以降マスタングはDが続々と前線に送り込まれていった。
Bと比較してやや速度が低下したものの、総合性能的には明らかに向上していたDは第二次世界大戦の終結までというものアメリカ陸軍航空隊の主力としてあらゆる戦線で活躍した。P-51Dの数少ない欠点と言われていた過大な機体重量についてはXP-51FとXP-51Gが試作され相応の好成績を修めたものの諸般の事情で開発中止となっている。これら軽量マスタングの集大成的存在だったのが1945年2月に初飛行を行ったP-51Hであり初飛行前に大量の量産発注もなされていたのだが、これも大戦終結に伴いその大半がキャンセルされている。
ノースアメリカンP-51マスタングはD型が戦後も朝鮮戦争を戦った他、その後もアメリカの友好各国に輸出され、その一部は1960年代まで第一線機を務めた例もあった。現在世界中に静態保存もしくは民間登録されているマスタングは数百機に上り、その一部はエアレーサーとしても活躍している。この世に生を受けて60余年。まだまだその活躍は続くだろう。
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